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懇談会報告(平成8年4月)

1 アイヌの人々

(1)アイヌの人々の先住性
北海道に人類が住み始めたのは、今から約2万年以上も前の旧石器時代のこととされている。その後、縄文文化期、続縄文文化期を経て、8世紀頃から12世紀中頃にかけて狩猟・漁撈・畑作などを行い、擦文土器を用いた人々を担い手とする擦文文化期を迎える。この擦文文化期とそれに続く13世紀頃から14世紀頃にかけてアイヌ文化の特色が形成されたものとみられる。また、アイヌ文化は、7世紀頃から12世紀頃にかけてオホーツク海沿岸に栄えた、漁撈や海獣猟を中心に独自のオホーツク式土器を用いた北方民族系のオホーツク文化の影響も受けているとみられている。
また、「和人」との関係でみると、7世紀頃から北海道に居住する人々との間に接触、交流があったことが窺われるが、文献資料が限られていることもあって、アイヌ文化の形成期における人々の様子は、明らかになっていないことが多い。
しかしながら、少なくとも中世末期以降の歴史の中でみると、学問的にみても、アイヌの人々は当時の「和人」との関係において日本列島北部周辺、とりわけ我が国固有の領土である北海道に先住していたことは否定できないと考えられる。

(2)アイヌの人々の民族性
一般に、民族の定義は言語、宗教、文化等の客観的基準と、民族意識、帰属意識といった主観的基準の両面から説明されるが、近年においては特に帰属意識が強調されてきており、その外延、境界を確定的かつ一律に定めることは困難であると思われる。
現在、アイヌの人々は、我が国の一般社会の中で言語面でも、文化面でも他の構成員とほとんど変わらない生活を営んでおり、独自の言語を話せる人も極めて限られた数にとどまるという状況に至っている。
しかし、アイヌの人々には、民族としての帰属意識が脈々と流れており、民族的な誇りや尊厳のもとに、個々人として、あるいは団体を構成し、アイヌ語や伝統文化の保持、継承、研究に努力している人々も多い。また、これらの活動に参画し、積極的に取り組んでいる関係者も少なくないことにも注目すべきである。
このような状況にかんがみれば、我が国におけるアイヌの人々は引き続き民族としての独自性を保っているとみるべきであり、近い将来においてもそれが失われると見通すことはできない。

(3)アイヌ文化の特色
アイヌの人々は、川筋等の生活領域で、狩猟・採集・漁撈を中心とした生業を営む中で独特の文化を育んできた。アイヌ文化は自然とのかかわりが深い文化であり、現代に生きるアイヌの人々も自然との共生を自らのアイデンティティの重要な要素として位置付けている。
近世のアイヌ文化の大きな特色としては、狩猟・採集・漁撈という伝統的生業、川筋等を生活領域とする地縁集団の形成のほか、イオマンテに象徴される儀礼等の特徴、アイヌ文様に示される独自の芸術性、ユーカラを始めとする口誦伝承の数々、さらには独自の言語であるアイヌ語の存在などが主要な要素として挙げられる。
なお、アイヌ語の系統は不明であるが、日本語とは異なる独自の言語であることは間違いないとされている。
アイヌ文化は歴史的遺産として貴重であるにとどまらず、これを現代に生かし、発展させることは、我が国の文化の多様さ、豊かさの証しとなるものであり、特に自然とのかかわりの中で育まれた豊かな知恵は、広く世界の人々が共有すべき財産であると思われる。

(4)我が国の近代化とアイヌの人々
松前藩が成立する過程でアイヌの人々の自由な交易が制限され、さらに、商場知行制からアイヌの人々を労働力として拘束し収奪する場所請負制へ移行する中で、アイヌの人々の社会や文化の破壊が進み、人口も激減した。
さらに、明治以降、我が国が近代国家としてスタートし、「北海道開拓」を進める中で、いわゆる同化政策が進められ、伝統的生活を支えてきた狩猟、漁撈が制限、禁止され、また、アイヌ語の使用を始め伝統的な生活慣行の保持が制限され、アイヌの人々の社会や文化が受けた打撃は決定的なものとなった。法的には等しく国民でありながらも差別され、貧窮を余儀なくされたアイヌの人々は多数に上った。
当時の政府も様々な対策を講じ、明治32年の北海道旧土人保護法の施行に至ったが、その後の展開をみると、いずれの施策もアイヌの人々の窮状を改善するために十分機能したとはいえなかった。