千島アイヌと樺太アイヌの文化

 明治八年以前、アイヌの人びとは、北海道を中心に、千島、樺太といった地域に住んでいました。それぞれ北海道アイヌ、千島アイヌ、樺太アイヌなどと呼ばれていました。明治八年に日本とロシアの間で「千島樺太交換条約」というのを結び、カムチャツカ半島に面した占守島(しむしゅとう)以南の千島列島を日本領土とする代わりに、樺太島全域をロシア領としました。

 このとき、占守島や幌莚島(ぽろもしりとう)などの島々に住んでいた千島アイヌは根室のそばの色丹島(しこたんとう)に強制移住され、樺太に住んでいた樺太アイヌは、稚内を経て、江別市の対雁(ついしかり)に強制移住させられました。日露戦争後、樺太アイヌの人びとは故郷に帰ることができましたが、第二次世界大戦のあとはまた故郷を後にせざるをえませんでした。

 千島アイヌの人びとは、故郷に帰ることができずに一千キロも離れた異郷で暮らさざるをえず、現在ではその文化を伝える人びとは誰もいません。樺太アイヌの人びとも戦争の犠牲者です。望郷の念を強く持ちながらも北海道などで暮らしています。

 ここで紹介する千島アイヌ・樺太アイヌの資料は、すべて鳥居龍蔵博士の収集品です。明治三十二年に色丹島で千島アイヌの調査をしたほか、占守島などを訪れています。明治四十一年と大正十年には樺太を訪れ資料の収集などをおこなっています。

 博士収集の千島アイヌ資料は、ほかに類例のない貴重なものがたくさん含まれています。なかには世界で一点しかないものもあります。

このデータベースで北海道、樺太とは異なった千島アイヌの文化要素や日本文化との違いを発見してみてください。
「アイヌ伝統・文化資料の紹介」について
各アイヌ伝統・文化資料の情報の管理、著作権の帰属について