生活を支えた漁狩猟(ぎょしゅりょう)植物採取(しょくぶつさいしゅ)
 
 北の(きび)しい自然のなかでくらすアイヌの人たちの生活は、四季をとおし山野、海、川での狩猟(しゅりょう)漁労(ぎょろう)植物採集(しょくぶつさいしゅう)などの労働(ろうどう)によって(いとな)まれました。労働(ろうどう)は、食糧(しょくりょう)を得るためや身の回りの生活用具を作るために行われ、狩猟(しゅりょう)漁労(ぎょろう)などの重労働は男性の仕事として、また、山菜採(さんさいと)りや機織(はたお)りなどの軽作業は女性や子どもの仕事となっていました。生活を支える主な仕事は、早春には山野でエゾシカ、ヒグマ猟、山菜取り、夏には川でマス漁、秋には川や沖合(おきあ)いでサケ漁、山菜取り、冬はウサギ、クロテンなどの小動物(りょう)というように一年をとおして行われました。
 エゾシカ、ヒグマ、アザラシ、トド、オットセイなどの動物、マス、サケなどの魚類やオオウバユリなどの山菜(さんさい)は、貴重(きちょう)食糧(しょくりょう)として捕獲(ほかく)採集(さいしゅう)され、エゾシカ、ヒグマ、アザラシ、サケの皮は、衣服(いふく)(くつ)、物入れなどの材料に用いられました。
 また、オヒョウニレ、シナノキ、イラクサなどの植物は、主に衣服(いふく)や物入れをつくるために採集(さいしゅう)され、千島地方ではエトピリカなどの鳥類もまた衣服(いふく)の材料として捕獲されました。それぞれの労働には、目的に応じた弓矢、仕掛(しか)けわな、マレク(()(かぎ))、キテ((もり))、捕獲網(ほかくあみ)、掘り具、()づみ具、()()、マキリ(小刀)など数多くの用具が使用されました。
 和人から栽培技術(さいばいぎじゅつ)が入ってくると、伝統的(でんとうてきな)狩猟(しゅりょう)漁労(ぎょろう)植物採集(しょくぶつさいしゅう)の労働に加え、簡単な農耕(のうこう)も行われるようになりました。


オオウバユリを採る様子(『アイヌ風俗絵巻』函館市中央図書館蔵)


マレク(()(かぎ))を使ってのサケ漁(『アイヌ風俗十二ヶ月屏風』市立函館博物館蔵)


海を()えた交易
 
 このような労働によって得られた収穫物(しゅうかくぶつ)は、アイヌの人たちの食糧(しょくりょう)や生活用具の材料の獲得(かくとく)のほかに、エゾシカ、クロテンなどの動物の毛皮やタカの羽などのようにガラス玉、絹織物(きぬおりもの)金属製品(きんぞくせいひん)などと引き替えに和人をはじめサハリン(樺太(からふと))、沿海地方(えんかいちほう)、カムチャツカ地方などに住んでいる周辺の民族へ交易品(こうえきひん)として渡っていったものもあります。
 また、アイヌの人たちの生活を支えた仕事の内容やそこで使われたマレク漁、キテ猟、仕掛けわな(りょう)狩猟(しゅりょう)漁労用具(ぎょろうようぐ)などは、沿海地方(えんかいちほう)やカムチャツカ地方などに住む周辺の民族の場合とよく似ています。このことは、アイヌの人たちが周辺の民族とふれあい、交流を重ねながら自らのくらしを築いてきたことを物語っています。


穴グマ猟の様子(『アイヌ熊狩の図』市立函館博物館蔵)
イタオマチプ(板綴船)に乗り、アイヌの人たちは盛んに交易を行っていた(『蝦夷嶋図説』函館市中央図書館蔵)  


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