私たちのいう「自然」に食糧(しょくりょう)を求めていたアイヌの人たちは、一年の多くを食糧採取(しょくりょうさいしゅ)(つい)やしました。特に、野生植物は、一度で取り尽くしてしまうようなことはせず、必ず「根」を残し、次の年の分を確保(かくほ)しながらの採取でした。四季折々(しきおりおり)にとれる野生植物や動物、魚介類(ぎょかいるい)は家族の食卓(しょくたく)にのぼるとともに、長い冬の間の食糧(しょくりょう)として、また、飢饉(ききん)などに(そな)えるために(たくわ)えられました。
 調理(ちょうり)には、「()る」「()く」「()く」という方法が用いられました。主食として、山菜をベースに、動物の肉や魚を入れて()たオハウ、ルルがありました。オハウは、用いる材料によって、チエプオハウ(サケを入れた汁)、プクサオハウ(ギョウジャニンニクを入れた汁)、カムオハウ(動物の肉を入れた汁)などと呼ばれました。
 副食(ふくしょく)には、アワやヒエなどの穀物(こくもつ)を煮たサヨ、山菜を(しる)気がなくなるまで煮込(にこ)んだラタシケプがあり、生の動物の肉や魚は、串にさして焼いて食べました。また、季節によっては、「生で食べる」こともありました。




プクサ(ギョウジャニンニク)


()いて()したウグイ。夏にとれた魚は、焼いて天日(てんぴ)()し、貯蔵(ちょぞう)した(新ひだか町アイヌ民俗資料館蔵)。


儀礼(ぎれい)(さい)の食事
   クマやシマフクロウの霊送(れいおく)りや祖先供養(そせんくよう)婚礼(こんれい)葬礼(そうれい)などのときには、普段(ふだん)の食事に加えて、雑穀類(ざっこくるい)を炊いたもの、団子(だんご)など特別な料理がつくられました。一年に数回しか味わうことのできないこの特別な料理は、人間だけでなく、祖先(そせん)や神々もともに食べ、ともに楽しむものでした。


いまに伝える
 
 江戸時代の終わりころになると、アイヌの人たちも野菜(やさい)をつくるようになり、多くの料理に(もち)いられました。また、明治以降(めいじいこう)、本州からの移住者(いじゅうしゃ)増加(ぞうか)とともに、アイヌの人たちを取り()環境(かんきょう)も大いに変化し、食生活もまた大きく変化しました。その一例として、調味料(ちょうみりょう)の使用などがあります。現在、北海道内各地でつくられる料理もこのころにつくられたものを基本としています。チエプオハウやラタケプなどといった料理の多くは、日常の料理として、あるいは儀礼(ぎれい)(さい)の料理として(さか)んにつくられており、その伝統(でんとう)はいまに伝わっています。

食事の様子(『蝦夷嶋図説』函館市中央図書館蔵)

チエプオハウ

ラタシケプ(新ひだか町アイヌ民族資料館蔵)
 

クマの霊送(れいおく)りのときにつくられる料理。神とともに人間も楽しむ(財団法人アイヌ民族博物館蔵)


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