アイヌの人達とともに

アイヌ文化の現在

 明治以降(めいじいこう)、アイヌの人たちは固有(こゆう)の文化を否定(ひてい)され、いわれのない差別を受けるなど、苦難(くなん)の道を歩んできました。「滅(ほろ)び行く民族・文化」としてアイヌの人たち・文化はとらえられ、そうした観点(かんてん)から、金田一京助をはじめとする和人の研究者がアイヌ文化の調査・研究を行いました。
 しかし、アイヌの人たちは、社会の偏見(へんけん)に屈(くっ)することなく、自分たちの文化の伝承(でんしょう)・保存に尽力(じんりょく)してきました。そうした人たちのひとりとして、金成(かんなり)マツ、知里(ちり)幸恵(ゆきえ)、知里(ちり)真志保(ましほ)などがいました。知里幸恵は、大正12(1923)年に『アイヌ神謡集(しんようしゅう)』を著(ちょ)し、アイヌのユカラ(神謡)を世に紹介(しょうかい)しました。また、金成マツは、ユカラなどの口承文芸(こうしょうぶんげい)をローマ字で書きつづり、大学ノート数十冊に及ぶ記録を遺(のこ)しています。さらに、違星(いぼし)北斗(ほくと)、森竹(もりたけ)竹一(たけいち)、バチェラー八重子(やえこ)など、アイヌとしての主張(しゅちょう)や想いを短歌や詩で表現するなど、文芸活動を通して民族のアイデンティティを求めるといった活動も行われました。
樹皮衣。アイヌ語でアットゥシと呼ばれる(財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構蔵)
左:アイヌ神謡集(北海道立文学館蔵)
右:知里幸恵(横山むつみ氏蔵)

精神文化―儀礼の復興

 明治以降(めいじいこう)の社会の変容(へんよう)のなかで、アイヌの人たちにとって大きな打撃(だげき)となったものに、信仰(しんこう)の自由を奪(うば)われたことがあげられます。特に、アイヌの人たちの儀礼(ぎれい)のなかで最も重要かつ盛大(せいだい)に行われるクマの霊送(れいおく)りは、その実施(じっし)が禁止され、新しいサケを迎える儀礼(ぎれい)もサケの捕獲(ほかく)の禁止とともに、実施(じっし)が困難(こんなん)となってしまいました。
 昭和50年代になると、儀礼(ぎれい)の復興(ふっこう)が叫ばれ、平取や白老、旭川などでクマの霊送(れいおく)りが行われ、昭和58(1983)年には、屈斜路湖畔(くっしゃろこ)でシマフクロウの霊送(れいおく)りが行われています。また、札幌市の豊平川では、昭和57(1982)年から新しいサケを迎える儀礼(ぎれい)が行われており、この儀礼(ぎれい)は近年、他の多くの地域でも行われるようになりました。さらに、祖先供養(そせんくよう)も各地で盛んに行われています。
豊平川での新しいサケを迎える儀礼(札幌アイヌ文化協会蔵)
豊平川での新しいサケを迎える儀礼(札幌アイヌ文化協会蔵)

伝統舞踊(でんとうぶよう)

 伝統舞踊(でんとうぶよう)は、地域的な特色をもって伝承・保存されてきました。これまで、北海道内各地で20の保存会が組織され、そのうち17保存会が伝承・保存する伝統舞踊(でんとうぶよう)が、国の重要無形民俗文化財(じゅうようむけいみんぞくぶんかざい)に指定(してい)されています。毎年開催(かいさい)されるアイヌ民族文化祭やアイヌ文化フェスティバルにはこれらの保存会が参加して、地域に伝わる舞踊を披露しており、近年は海外での公演も活発に行い、アメリカやイギリス、フィンランドといった国々において、アイヌ文化の紹介(しょうかい)を行っています。さらに、各地で実施(じっし)される各種(かくしゅ)儀礼(ぎれい)においても舞踊(ぶよう)が披露(ひろう)され、保存会の人たちをはじめとして、儀礼(ぎれい)に参加した人たちもともに踊り、楽しんでいます。
 アイヌ文化伝承者(でんしょうしゃ)の高齢化(こうれいか)が叫ばれる今日において、若い人たちの舞う姿が多く見られるようになり、伝承の輪が大きく広がっています。
アイヌ文化フェスティバルでの伝統舞踊披露(様似民族文化保存会、財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構蔵)
アイヌ文化フェスティバルでの伝統舞踊披露(様似民族文化保存会、財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構蔵)

さらなる広がり

 平成9(1997)年の「アイヌ文化の振興(しんこう)並びにアイヌの伝統等(でんとうとう)に関する知識の普及(ふきゅう)及(およ)び啓発(けいはつ)に関する法律」の制定後(せいていご)、アイヌの人たちの文化伝承(ぶんかでんしょう)・保存活動(ほぞんかつどう)はいっそうの広がりをみせるようになりました。先に記した精神文化の復興(ふっこう)のほか、「家をたてる」「舟をつくる」「着物をぬう」といった生活文化の復興(ふっこう)が北海道各地、さらには関東周辺を中心とした本州に居住(きょじゅう)するアイヌの人たちの手によって行われており、これまでの「点」としての文化伝承(ぶんかでんしょう)・保存活動(ほぞんかつどう)が「面」としていっそうの広がりを見せるようになりました。
 こうした背景(はいけい)に、苦難(くなん)のなかにもしっかりと伝統文化(でんとうぶんか)を受け継(つ)いできたエカシ(おじいさん)やフチ(おばあさん)たちの尽力があることを忘れてはなりません。